【Hisae's Voice / vol.5】私のキャリア(経歴)ー母になってから
「私のキャリア(経歴)」シリーズが思いのほか長くなってきてしまいました。。
それほど年を重ねてきた、ということか、私の文章構成力の問題か。。
いや、それだけ沢山経験させてもらった30代だった、ということにしておきたいです。
妊娠しながらも久々のオフィスワークを楽しんでいたものの
2011年3月11日を区切りに全てが一変してしまいました。
私だけではないはず。
この日を境に人生変わった方も多いのではないでしょうか?
東日本大震災による計画停電で間引き運転になった電車はいつも満員。
大きくなったお腹に危険を感じたことも少なくなく
原発事故などの影響もあって、東京で生活することに心身ともに疲れてしまい
実家へ避難しました。
妊娠7か月に入ったころだったので育児休暇に入るには少し早すぎたこともあり
最初は休職にしていただきましたが、その後退職しました。
この時に思っていたこと。
キャリア(ワークスキル)ももちろん大事だけれど
お腹の子をこの世に送り出してあげられるのは私しかいない、ということ。
この震災でたくさんのことに気がつきました。
一番の気づきは、大きくなるお腹だけでなく思考まで「母になっている」
ということでした。
40時間の難産の末に生まれた娘。
1時間おきに泣いて授乳、抱っこでないと眠らない、という
「かまってちゃん」だったので
暗い部屋の中を何かの儀式のように抱っこでぐるぐる歩いたり
背中センサー(ベッドに置いたら起きてしまう)が発動しない方法を四六時中考えたり
と、それまでに使っていない筋肉と脳の部分を使う日々でした。
新生児期はずっと寝てるから楽よ~なんて言った人、本当ですか?と当時の私は思って
いました。
そんな娘でしたがすくすく大きくなり、
お世話になったベンチャー企業にも挨拶に行き
保育園に入園させられたら復帰したいです、と話をしていた矢先に
夫の2回目の海外駐在の話が浮上しました。
しかも場所が地球の裏側、ブラジル。。
「またキャリアが断絶してしまう。。。」
かなりの衝撃を受けたのか、育児疲れも相まって、か
初めての胃カメラを飲んだのもこの時期でした。
(逆流性胃腸炎になりました。(笑))
夫が先にブラジルに出発してからもどうしても働きたい気持ちが抑えられず
東京の家を引き払った後、実家そばにある親族の会社でブラジル渡航までの間
期間限定の事務パートで働かせてもらいました。
娘は1歳8か月で保育園デビュー
1歳になるまで親にも娘を預けたことがなかったので少し躊躇しましたが
親の心配をよそに、娘は毎日楽しそうに通ってくれて
私も久々に使っていなかったビジネス脳が使えて楽しかったです。
と、現在住んでいるブラジルに来るまで、の5年間のハイライトをお伝えしました。
思い返してみるとアップダウンの激しい、ジェットコースターのような日々
だったなあ、と。
しかし、当の本人が過去をネガティブに捉えているか、と言うとそうでもなく。
あの日々があったからこそ、の今の私だと思えるし、この活動に参加したいと
思ったきっかけでもあるし
私のささやかな経験が、今後駐在妻になる方や、すでにモヤモヤを抱えている方の
一つの参考例になったらよいなあ、と願うのみです。
そして、私が乗ったジェットコースターはまだまだアップダウンを繰り返しております。
着地は当分先でしょうか、、。
ブラジルに来てからも波瀾万丈?なアップ&ダウンを沢山経験させてもらいました。
そのお話はまた後日。
ジェットコースター
一度乗ったら
楽しむべし
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