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【会員によるリレーエッセイ / Vol.2】石毛佳織さん 〜バンコク駐在は私のサバティカル! 前編

「Our Voices ~ 会員によるリレーエッセイ」
駐妻キャリアnet会員のリアルな経験談を、会員と会員がバトンタッチしてゆくリレー形式でお届けしています!等身大のロールモデルに出会うことが出来るかも!?
Facebookの会員限定グループ内では、リレーエッセイにご登場いただいた方と会員の皆さまとの交流の場を設けています!

 

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皆様、初めまして。石毛佳織と申します。2008年までタイ・バンコクに3年半駐在し、本帰国後に再就職、途中2回の転職と8か月の産休・育休を経て、現在はアメリカ企業の日本法人にてマーケティングの仕事をしています。

父親の海外転勤に伴い幼少から中学2年までアメリカと香港で計7年過ごし、その後も父は海外駐在をしていて駐在員家族の生活を経験済みであったことから、もし自分が駐妻となっても戸惑いなく海外生活を送れるものと思っていました。

しかし、いざその駐妻となった当初は、忙しかったものの仕事を楽しんでいた過去を思い返し、キャリアが途切れてしまったことで再びその自分に戻れないのではという不安と寂しさを抱えて毎日を過ごしていました。

皆様の中にも、帰国後の将来に不安を感じている方がいらっしゃるかと思います。そのような方に私の経験が参考になれば幸いです。

 

過去を振り返ってばかりだった駐在1年目

新卒で政府機関に就職し、総合職として約7年間勤務しました。東京本部だけでなく、地方事務所勤務も経験し、海外事務所勤務も夢ではないと希望を抱きながら、軌道に乗り始めた仕事を楽しんでいた頃、夫のバンコク赴任が決まりました。当時は帯同休職制度がなかったため、私には仕事を続けるか、退職して帯同するかの二択しかなく、上司や周囲からは仕事を続けることを勧められたものの、熟慮の結果、夫が出発してから8か月後に退職してバンコクでの駐妻生活を始めたのでした。 
 

なぜ退職を決意したのか。仕事で関わったとある企業の方にブランドマーケティングCRMについて教わったことがきっかけでマーケティングに興味を持ち始め、いずれは大学院でビジネスについて勉強したいと何となく思っていたため、バンコク駐在はそれを実現できる機会になると思ったのが理由の一つです。退職時は20代後半で、最大4年駐在し本帰国してもまだ30台前半。いずれどこかに再就職できるだろうと楽観的でした
 

バンコクに行ってから最初の1か月は「長い有休」でバンコクに遊びに来た気分でデパート・タイマッサージ・スパ巡りなどを楽しんでいましたが、そのうちにどこにも属していない虚無感、「〇〇さんの奥 さん」と自分の名前で呼ばれない寂しさ、大学院に行きたいと公言しているものの合格できるかどうかも分からない不安感、そして、大学院に入るまでは何もしていないと感じる無力感 などが押し寄せてきて、仕事を辞めてバンコクに来たことを後悔する日々が始まったのです。
 

長い社会人生活のうちのたった数年の駐在のために自らキャリアを断ってしまったのは果たして正解だったのか、正解のない自問自答を繰り返していました。

 

今動かなければ自分も未来も変えられない

バンコクで二度目の乾季を迎えようとした頃、そろそろアクションを起こさなければこのまま何もせずに駐在期間も終わってしまうと考え、大学院のリサーチを始めました。

憧れていたのは有名なチュラロンコン大学でしたが、チュラロンコンと同じレベルのタマサート大学にマーケティングに特化したインターナショナルプログラムがあると聞き、事務局にアポを取って駐妻は滅多に利用しないバスに初めて乗って大学見学に行きました。


観光名所である王宮に隣接した校舎に入った瞬間にタマサート大学が持つ大らかな雰囲気に心惹かれ、また学科長から受けた説明に感銘を受けて、受験を決意したのでした。


それ以降、ビジネス系の大学院受験に必要なTOEFLやGMATの勉強に勤しみ、一時帰国時には学部時代の英文成績証明書や卒業証明書を取り寄せたりして、何とかしてその年度には大学院に入ろうとラストスパートをかけました。


そして、希望どおり、タマサート大学大学院商業・会計学マーケティング修士課程に合格し、入学しました。

 

予想以上にハードだった大学院の日々

合格発表から1か月後、入学式もなく突然初回の授業が始まりました。インターナショナルプログラムにもかかわらず、クラスの88人中タイ人(90%以上が中華系タイ人)は87人で、外国人は私一人のみ。ただ、ほぼ全員が小中高大と英語でのみ全授業を行うインナーナショナルプログラム出身者であったため、英語での会話には問題がないはずでした。


ところが、初めてのグループワークの際、私以外のメンバーがタイ語で議論を始め、その結果を私に英語で伝えてグループレポートを仕上げるという状況になってしまいました。


そこで、せっかくインターナショナルプログラムにいるのだから英語で議論しようと私から全員に呼びかけ、それからは私もグループワークに積極的に参加できる状況になり、最後の修論プロジェクトではグループリーダーを務めるほどにまでなりました。

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写真:修士論文プロジェクトのプレゼンテーション時にリーダーとして発表中


授業は想像以上にハードで、学部時代の専門ではなかった科目を英語でインプット・アウトプットしなければならず、テストに次ぐテスト、レポートの山、プレゼンの嵐の日々で、人生で一番勉強したと言っても大げさでないくらい机に向かった2年間となりました。


実際のビジネスの場面を想定している課題は グループワークが多かったため、週末も夜遅くまで友人宅や大学で課題を行う必要があり、そのハードさに途中で投げ出したくなる時もありましたが、着々と近づいてくる本帰国までには卒業をしなければと自分にプレッシャーをかけ、毎日を乗り越えました。


一方で、休み期間は少なかったものの、クラスメートと出かけたり、タイ料理教室に通ってみたり、夫と周辺国やタイ国内を旅するなど、タイでの生活を楽しむこともできました。
 

修了試験まであと1か月という時期に夫が帰任となったため、一人で1か月間バンコクに残ることになってしまいましたが、最後の関門である卒業試験に無事合格することができました。
 

その数日後に本帰国し、帰国した翌日から再就職に向けた活動を始めました。

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